実家住の無職でした。そのときにゆるせなかったことがあります。
それが「夜食」です。
許せなかったのはなぜか「いけないこと」という固定観念があったからです。
でもそのときもケッコー洗脳が解けていた無職だったのです。
でも単なら無職では夜食への背徳感はとけなかったのです。
それはなぜだと思いますか?答えは監視の目があったからです。
実家で夜食に手を出していた時はキッチンにいくので後々バレます。
だからなんとなくですが監視の目のせいで「やってはいけない」とつよく思っていました。
でも今現在は監視の目がない世界線で生きています。
だからこそ「夜食」に対しての強迫観念・固定観念が消えました。
もうだめだ。自由すぎるので自制がきかない。
いや自由なのはいいことなのです。自制が効かないのがいけないのです。
このままじゃ駄目が加速される。ダメブーストが背中にくっついた。
自分で納得しよう
夜食はとてもおいしい。さらに背徳感があるとなおさらスパイシーなんです。
自由を手に入れるともうダメだ。
自制が効かない
夜食もバクバクやってしまう。
監視の目がないと全然自制できない。
いやむしろ自制などなかったのだ。
強制でしたかじぶんがちゃんとできない人間なのだそういうダメ人間だったのです。
ダメ人間が強制されずに自由になればなるほど「ダメの野放し」になるのです。
だれかタスケテ
いやこれでいいのか?
これでいいのだ!でいこうかな?
教えてバラモン
許せるようにしたほうがいいのかな?と思う
分からないのです。
夜食なんて必要じゃない食事。エネルギーも十分とってる。
娯楽だけの食事。だからあんまりよくないものと思っているのです。
でも最近は夜食も許せるようになりました。
ダメが加速しているようにも思っているのは今でもおもっています。
でも許せるようになりました。
それはなぜか・・・お話していきます。
だってね、自分を許せるということは「自分を広げる」ってかんじがするんです。
そうすると「他人もゆるせる」ことが増えていくような気がするのです。
とてもコジツケのような説明になってしまった。
自己肯定の域カモしれません。でもそう思っている。
もしかしたら体には悪いことカモしれません。でも心が人間が大きくなるような気がするのです。
許すっていうのはステキなことだと思うのです。
だから、「いけないこと」って思っていても「許してしまえば」ニンゲンや心は大きくなると思います。
でも太りたくもないし健康でもいたいのです。だから葛藤しているのです。
まだまだ模索しているのです
でもせっかく「許せる自分」や「ゆるせやすい環境」に身をおいているので少し実験的にすすめてみようと思うのです。
酔っているので以上で書き終わります。