アルバイトをしていたんです。去年の12月の31日でやめたんです。
それから今日で3日目です。まだたった3日しか経っていないのに「やっぱり無職サイコー」ってなっています。
その理由はスケジュールに自分がいじめられていない気がするからです。
いじめられていないって書いたには理由があります。
それは楽しいスケジュールならボクはどんどん書き込みたいです。そんなスケジュールはいくらあっても困りませんからね。
でも、「仕事」「アルバイト」とか書いていると心が圧迫されていくんです。
心が「きゅっ」と掴まれるようなあのイヤ〜な感覚です。
そんなスケジュールを書き込むのも苦痛。それが前日になればなるほど苦痛。働く日の朝が1番苦痛です。けど働くのはキライじゃないので働き出すとぜんぜん平気です。
働くぞ〜働くぞ〜ってあの間際までの時間が苦痛。刻一刻と苦痛。
そんな苦痛から解放されたのが無職の状態です。
無職の「無」は心がざわめくことが「無いよ」の無なのかもしれません。とても静かなる無の境地に至ることができる方法が「無職」であったのです。仕事をやめる=彼岸への到達なのかもしれません。
ぼくは仕事が好きなタイプなんです。でもイヤ〜な働き方をたくさんしてました。心がすり減っていました。タンジュンにお金が増えて増えてうれしくて仕方がなかった学生の時のアルバイトのときのあの心境こそがボクを仕事好きにさせてくれたんだと思います。もらったお給料でスーパーでお菓子を買いまくって食べていたあの感覚がなつかしくある。うれしい記憶なんです。
でも社会人になってしばらく経ってくるとお金をもらえるのがフツーの感覚になってきて感謝がたりませんでした。仕事のイヤな部分ばかりに目がいってしまってとてもイヤイヤ働いていた記憶がいまでもつよいです。人間関係でのイヤな部分もありました。上層部の黒い部分も数年働くと見えてきました。お客さんや上司や仲間にイヤなことをされた記憶もあります。ボク自身が会社仲間を敵視したときもあります。そんな自分もイヤで仕方なかった記憶もあります。イヤでイヤが積み重ねていき悪いところしか意識しなくなってしまった。そして悩んで病んでしまった。鬱とかではない。でも頭がおかしくなっていたとおもいます。会社のために朝起きるのがなかなかできなくなったのも鮮明に思いだせます。
それでも世間のジョーシキ。今後のコト。ちっぽけでくだらないプライド。などを考えて。いや、自分で護って。?。いやちがうな。カッコつけたのかな?守りたいものもあったかな?ちょっと言葉では言い表せないけど「なにかあった」のです。
そんな風に自問自答をして最終的には「無職」を選びました。そのときの解放感ったらサイコー以外のなにものでもないのです。
仕事は好きだけど「はたらかされる」ってことにどうもアレルギーがあるのかもしれません。
ぼくは「自分から」「能動的に」働くのは好きなのです。
でも働いていると大事なものが見えなくなるのかな?どうも感謝が足りないってところに思考が行き着くのですが「そういう大事な部分がみえなくなる」ことが多々あります。
今の所、改善点はないです。感謝すればええやないかって突っ込まれそうですが「その時」にはもうできないのです。遅い。
とてもとんちんかんでちんぷんかんなニンゲンです。
でもいっちょまえに辞めたときは「サイコー」っと叫ばずにはいられないくらいの解放感の気持ちよさ。
オレは一体なんなん?
無職になったばっかりはサイコーです。文字通りです。でも無職もしばらく経ってくると「なんか不安」になるんです。そして、また動き出す。もしくは働き出す。おれって繰り返す。昇っては落ちて。太陽かよ!
最近はこうおもいます「どうせ上がったり下がったり勝手気ままに気分が高下するなら[太陽みたいに明るく楽しくしておこう]」っておもうのです。
自分でもすばらしい考え方だと思います。
ワタシはこんな考えでいきてます。
とりあえずいまは「無職サイコー!!!」の気分です。上がってます!!☺️
読み返すとまとまりのない文章でワロタ。文章下手すぎでワロエナイ。
文章変じゃないです
言いたいことが山ほどあり
イペペさんが考えていることも
よく分かる。うん。
ここのブログ大好き人間だから
続けてくださいね♪
コメント書くの私も好き。
これからもみます。
ありがとうございます
いいたいことたくさんあります。書きたいこともたくさんある。書いているとよくわからないことになっていることも多いです
コメントうれしいな
ありがとう