無職が真理をおしえますのコーナーがはじまります。
そんなコーナーはじめてだけどね。
先日ボクは暇を持て余していました。
そこで「博愛」について考えました
博愛とは=ひろく平等にあいすること
のようです。
何を隠そうボクがそういうタイプなんです。
色んな事や物や人や自然や万物を愛するタイプのニンゲン。
もちろん人も信用して愛するのです。
ソレは男女関係とか浅い話の「愛」じゃなくて
なんとなく「愛しています」っていう気持ちのことなのです。
でも、残念なことに博愛して「痛い目」にあうこともオウオウにしてあるのが世の中のオモシローイところです。
そんな痛い目にあった博愛主義のボクは「ちっくしょーなんでやねん!!なんでこんあ仕打ち受けにゃあかんのん?」ってキレ散らかすわけです。
でもそれでも博愛が本質のオレはまた愛しちまう。
そしてまたまた痛い目にあうと
笑えないぜ。
そして博愛のように生きている人もいます。
例えば「家族」
家族のことは信用して信頼して愛して接しなければいけない。みたいな生き方をして毒親や毒兄弟にコテンパンに利用されて己を壊してしまう心優しきかわいそうな結果の人もおれは博愛だとおもいます。
経営でも先輩後輩でもチームでも田舎のルールでもなんでも懇親的に親切にやってガッツリ裏切られることがあるのです。
まぁ世の中そういうものです。
ではどのように博愛をしていけばいいのかアンサーを示していきたいとおもいます。
自分で向かうな!表現をセヨ
アンサーとしてはこうです。
まず、自分・本人が博愛をしちゃいけません。直接関わるのがよくないです。
どんな良い人でも図に乗ってきたり、豹変したりする可能性がおおいにあるからです。
まぁそういう人はビシッと指導をすればなおるケースがほとんどです。
でも博愛してさんざん利用してくるドクズのようなやつには絶対に直接「博愛」しちゃいけません。
それでも「愛すること」「博愛すること」を止めれない人におすすめなのが表現です
表現で博愛?
表現ってなんやねん。
ってところを説明していきます。
・歌
・ダンス
・絵
・本
・AI
・料理
・お芝居
・芸術
などなどの表現。つまりは作品です。
おのれの博愛や愛する想いを表現化して作品に落とし込むのです。
そうすることによって「自分・本人と距離感をもつことができる」のです。
イエスキリストって知ってますよね?
あの人のお弟子さんが聖書を書いたとおもうんです。
イエスキリストさんはきっと良いこと言ったりやったりしたんです。
それを作品に書き上げられたのが聖書です。
たぶんですがイエスキリストさんも屁はこくわゲップはするわたまには愚痴るわ神経のないことも言ったでしょう。
仏さんことブッダさんもおんなじだとおもいます。
でも仏教という作品になったのです。
ちょっと例えが下手だったすまない
作品にすればいいのです。
博愛やあいする気持ちを「絵にこめる」ってことをすればいいのです。
その絵をみてもらって「優しい気持ち」「温かい気持ち」になってもらえるようになればいいのです。
間違っても直接に博愛しちゃったらいけない。つけこまれる。そんな人は少ないけどいるんだもん。
だから表現するの。
それはダンスでもいいでしょう。本に込めてもいいでしょう。
なにか作品にすればいいのです。