無職

認知のゆがみと心のゆがみについて

認知の歪みというのは「ボケている」とか「普通それはない」っていう感じのことです。

認知の歪みがある人に最近めちゃくちゃなことを言われています。

北海道旅行にボクは最近ずっと行っていたのですがその期間にぼくが物を借りにきたというのです。

その借りたものを返してくれというのです。

日付を書いたメモを見せにくるのです。

でも、ありえない。だって北海道にいたんだもの。

しかもその物は「脚立」なんです。

ぼく脚立3つも手元にあるんです。借りることもない。

そしてその方はちょっとボケているのは昔から知っていました。

おもしろい話なら何度でも聞いてあげることもできるのです。

でも「お前が借りて返さないのだろう」みたいな内容を言われるとめっちゃ頭にきます。

それも数日です。その都度なんども説明するのですが自分が納得するまでは人の話を聞けないのです。

だって認知がゆがんでいるからです。

まいったなぁと思っています。

イライラもするので「やめてくれ」と伝えました。

けっこうキレ気味です。

そしたらそういう態度を普段ボクがしないので少し効果はあります。

その話はイマココってかんじです。

しばらく様子をみようとおもいます。

疲れちゃうぜ。

そして

心のゆがみ

心が歪んでいる人はたくさんいます。

大人になってもだれもなおしてくれなかったのかな?と思います。

でも心が歪んじゃうにはきっと理由はあるのだとおもいます。

だからといって、心の歪んだ人が対面してギャーギャー言うてくるのはたまったもんじゃないです。

陰で言われてもキツイです。

それを対面でいわれるともっとキツイです。

そういう経験あります。

やはり「歪み」というのは難儀な物です。

漢字だって変です。

不正(ふせい)という単語を合体させているのです。

意味は【正しくないこと。正義・正当・正直でないこと】

ちなみに

歪みの意味は【人を指して悪者や悪い心を持つ者を指すこと】

です。

まぁどちらも言われたくないし、なりたくもないし、当てはまりたくもない単語です。

不正で歪みでも「正しくない」っていう意味で捉えていいとおもいます。

認知の歪みはどうしても、年齢とともにそうなっていくのかもしれません。

だから可愛げはあるとおもいます。

でも心のゆがみはなかなかなもんだと個人的におもいます。

目の当たりにしている

心のゆがみは現在目の当たりにしていないです。

でも認知の歪みに関しては目の当たりにしています。

ツライです。

心のゆがみを目の当たりにしたときも何度も相手方を信用しては裏切られて辛かった。

最後の最後にも裏切られたので辛かったです。

勉強になった

反面教師になった

と言えばその通りなのですがわざわざ経験したくもないしさせたくもないってのがホンネです。

目の当たりになるのはたまったもんじゃないですよ。

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