学生のころから勉強ができませんでした。
算数とか数学はすこしできたのですがそれ以外はまぁポンコツポンコツ
なんか算数とか数学はできるようにきこえたかもしれませんが飛び抜けているわけでもないです。
勉強というものがサッパリ理解できなかったんです。
まず、人の話をきけなかったよね。
常に「アドリブ」を取り入れていたので言うこと聞かないタイプでした。
「ここで待っとけ」といわれても「いやこうしたほうがいいやろ」って思ってめっちゃ怒られるタイプでした。
いつでも話を聞かないのです。
勉強とか授業なんてもってのほかです。いつもなにか違うことを考えていてなにも勉学してきませんでした。というか気づいたのが「中学1年生」のときでした。
英語の授業で先生に当てられて「Brazil」を書くだけだったのですがもちろんスペルも意味も読み方もわからないし何を言ってるのかすらわからなかった中学生時代。
美術の授業でも「こういう風につくるのよ」っていう説明をさいごまで聞かずにぼくだけ違う技法でつくりあげられる作品は異端でしたw
保健体育の学科試験なのに体操服にきがえて体育の試験と思い込んでいたり
もう昔から人の話を聞いてません。
それは社会人でもおなじでした。型にハマったことはいつまで経ってもできませんでした。チームワークも人との協調生が必要なのでむりでした。何をしたらいいのかわかりません。
逆に「いま」はとても楽に生きています。基本的にはソロプレーでいきることができています。仕事もしていないし恋人もいないしやらなければいけないこともソロで動けるととても力を発揮することができます。
ちなみに仕事も「おまえは勝手にやれ」と言われてから成績がよくなりました。営業マンでルート営業でした。うちはメーカーで販社さんに営業をかけるのです。エンドユーザーという最終的に使ってもらうところに営業をするのは御法度でした。でもその御法度をくりかえして情報をとってきてだれもひっくり返せなかったライバルからの営業をとることもしばしば。
枠さえなければ誰も泳がないところで泳ぎ出してなにかを得てくるのがオレの性質のようです。
イケナカッタノハ「枠」なのです。だれだ。おれを「フツー」とか「常識」にしばったのは。戦犯ですよw
まぁその戦犯があったわけで強制的に「ある程度の一般常識」を身につけれたのはよかったかなとおもいます。
人生は生きていると勉強になります。こういう勉強は生きなきゃ感じれません。
でも、いまでもできないことがあります。それは「努力」
努力きらい
努力って聞こえのいい言葉ですがめっちゃキライです。
つらいのです。
おれにとって努力は「いやなもの」なんです。
よく言われるのが
イチローとか大谷サーンは野球の天才といわれています。
でもあの人たちは努力していないんです。
好きで好きで野球をやってしまうのだそうです。
「これこれ」っておもいました。
好きなことは当の本人は努力と思っていないのです。
なんかやりたくなっちゃってやってしまうのが「好き」それが他人からした努力にみえちゃうのです。
将棋の藤井聡太くんも「休みの日は何してますか?」という問いに「リフレッシュのため詰将棋です」って答えるようです。
※詰将棋は将棋のトレーニングゲームみたいなもんなのでほぼ将棋です。野球でいう素振りみたいなもん
なにがいいたいかというと「努力」=つらいこと
「好き」=ついついやっちゃうこと
なんです。
だからボクは努力がキライってのはとんだ当てつけですが努力ができない。
奴隷の力と書いて「努」
だれが努力なんかするもんか
ばーか
努力したこと
かと言って努力したこともあります
「普通になろうとしたこと」です。
昔から周りから「変わっている」と言われてました
いやでした。
「普通やのに」っておもってました
でそんなオレは「みんなに合わせる」ということをしましたが
30歳くらいで限界を迎える
わりと気づくのは遅かったのですが気づけたのはよかったです。
なんなら30歳ははやかったのかもしれません。青春も20代のパワー無限時代も「普通になろう」と時間もエネルギーも使いましたが
使い切ってよかった。だっていましあわせだからです。
だれになんといわれようとしあわせと言えますのでこれでよかったのです。
時代にたすけられています
時代にたすけられない人はほんとうにたくさんいます。
いまは個人の生き方が尊重されています。
また個人の情報発信も自由です。
理解されなくても人権はある。
時代に助けられます。
ボクはほんとうにツイているとおもいます。
逆に時代に波乗りできずに飲み込まれてモクズになっていく人もおおくいます。
そういう人は上手に立ち回れなかったのです。とても残念におもいます。
チャンスを活かさない。反省は活かそう
チャンスをつかめない人はおおくいます。
反省を活かさない人もおおくいます。
こういう人はほんとドンマイって感じです。
チャンスも反省も改善できればどんどんよくなるとおもいます。
ぼくも自分のスキルや性格や頭はそんなにでしたがどこかでヒントを得て行動して生きてきました。
1つは「本」です。
人の話は聞けないのですが「著者の声」は聞こえるんです。
本のそんざいはとっても大きい。今でこそ読書の量はグンとへりました。
どちらかというと著者の声よりも超えてきた部分もおおくあるとおもまいます。
けどなにもできないときはまずは「本」はいいとおもいます。
ボクはありとあらゆる本を読みました。読んでた時は月に何十冊と言っていたとおもいます。
その時に得たものは何かほとんどわすれましたwでもひらけていったと記憶があります。
自分の頭に自信がなかったので「本書いている人なら賢いやろ」程度で読んでました。
実際書いてあることは「効果ありそう」っておもえますしやってみると「効果出る」って体験はなんどもしました。
まぁ身になっていないことのほうが多いです
でもたまにくる良書
良書にであえるまで読書を続けて欲しいとおもいます。
オレにもセンセイができました。
その人の本はいまでも刷り込むように読みますよ。
人生は勉強の連続です。
学業や勉学はダメでも
勉強はいるなぁとしみじみかんじるのです。
それをやめて思考停止の人とはなすとおもしろい部分もおおいですが
何回か会って話すと「おんなじことの繰り返しやん」ってなってつまんない人に感じますからね。
やっぱり変化している人がたのしいねぇ
世界をひろげていくぞ
いま、ボクは無職生活をしています。
もうそろそろで4年生です。
そんななか自由をとっても謳歌しているしやりたいこともやっています
変化も進化もしているとおもってます。
これがどんどん世界を広げているようにもおもえます。
でもずーーーっとおんなじことをしていても詰まるとおもっています。
ある程度のところまでくると
グルンとちがうことも取り入れていかないと「つまんないニンゲン」になるとおもいます
やっぱり世界を広げていかないと視座もそのまま。感覚もそのまま。
知らない景色。はじめての味。
そんなものを感じていきたい
だからどんどんやっていこうっておもってます。
なにを「やっていくのか」ってのはあんまり明確につかめていません
でも「受ける」側ではなく「出す」側にまわらないとなとはフワッと感じています。
だから箸にも棒にもかかりませんがいまはブログやYouTubeや創作をしていきたいとかんがえています。