無職として暮らしています。
日々の生活はスキルを知らず知らずにあげてくれるものになります。
無職の日々であがったスキルを3つ
無職3年生が話そうとおもいます。
節約
収入が基本的にない
働いていないのがおもな原因
いわずもがな無職だからです。
生きていくにはお金がいる
生きていくためのライフといっても過言ではないお金
湯水のごとくつかうわけにもいかず
娯楽や快楽もつつしまないと破綻する無職生活
そんな意識をもちつつ生きているといつの間にか身につくのが「節約術」
節約といっても多岐にわたるところがおもしろい
・光熱費をしぶるもの
・半額ハンターになり目を光らせるもの
・我慢一択の僧になるもの
・おこじき様になるもの
様々なタイプがいてる。
どんな形でもいいとおもいます。
みなできることをやりつづける。
やりつづけることにより「ものにする」
ものにしたときに「節約術」が身についているのです。
料理
外食はたかいです。
となれば家で食べることがベースになるのが世の常
家でたべるといっても「なにを買い、なにを食す」かにより支払金額の振り幅がおおきくかわる。
一人暮らし初心者は食材の適量がわからずに食べ物をダメにした挙句外食より高くついたなんてケースもちらほら
また、カップラーメンや冷凍食品などのデキアイばかりを攻めていても高くつくうえに栄養バランスも崩れていく
無職といえど生活である。生活の基礎基盤は食事が元になる。元になるスキルがまさに「料理スキル」
料理はしょうじき「やるかやらないか」の世界。やれば生涯スキル
科学でもある
科学というのはだれがやっても「そうなる」というもの
レシピがあり、数値で教えられる。たしかに火加減やわかりにくい表現もあるがその辺がわかってくれば「料理スキル」の到達点
料理さえできるようになれば栄養・味付け・量を決めれるうえに好みの値段・妥協・ペースでコントロールできる
時間があまっている無職生活は料理スキルをあげるのに使うのが得策。
食は否が応でも切っても切り離せない生き物の営み
工夫
お金で解決するのはカンタンでいい
が、その考えは無限にお金がいるので考えものだ
稼ぐのが得意で余っているならそのやり方はただしいとさえ思う
でもみながみな資産に余裕があるわけがないのが現実だろう
そこで「自分でやってみよう」と一案をいつもとりいれてほしい
頭と体を使っていく「昔なら当然」という感覚をとりもどしてほしい
例えばジムで体を鍛えようなんてのはよくよく考えれば
お金を払って体を動かしているだけ
その辺にぶら下がって懸垂をしたり雑巾をかたく絞って家中を拭きあげるほういい。
人の役に立ちながら体をつかう。お金を払って時間をかけ体をつかうなんてやらなくていい
「工夫」
これをあたまの中にいつもおいておくことで自分自身を高めるスキルになっていく
先ほどの例
雑巾をかたくしぼって家中を拭きあげるには、どうやったら家が綺麗になるかどうやったら綺麗に拭きあげることができるか、などエッセンスがつまっている。
掃除スキルも一気にあがるので自分のスキルがあがるのがたのしい
ベンチプレスなど持ちあげてもだれも喜ばないではないか。
工夫して生きよ
頭と体をつかうように
無職生活でスキルが上がらない人の特徴
さいごに無職生活をしていてもスキルが上がらない人の特徴をはなそう
答えから言うと「自分がやらない」人だ
実のところは無職の人、働いている人とわけへだてることなくいえることではある。
自分で考え自分で行動せずいつもだれかにやってもらうタイプのニンゲンはただのグウタラである。
グウタラニンゲンはいつかどこかで生き詰まる。
頭をぶつけながら生きてきただろうがふりかえることなく突き進んできたガッツには賞賛ものだがそれは皮肉である。
ただの歳を喰った赤ん坊と大差がない。
小人の人生であり大人になりきれてない「ばぶばぶニンゲン」であり厄介者だ
そのくせ一丁前に「垂れる」のである
言い訳を垂れる赤ん坊ほどニクソイものはいない
ぜひ自分を鑑みて欲しい
自分の中に「ばぶばぶニンゲンはないか」見つめてほしい
もしばぶばぶニンゲンがいるのであればそれは残念ながら切り離すことはできない
自分自身を切り離すことはできないからだ
大事になるのは「叱咤して育てること」である
しかり教えできたらホメて、しっかりと成長させてほしい
そこからにげると一生大人になれない老けた赤ん坊と心得よ
