バカはどんな関係でも「袖触れ合ったら人間関係だ」といいます
ほんとあほやなぁと思います。
・毒親
・いじわる
・攻撃的
・搾取のテイカー
・犯罪者
・うそつき
そんな人間たちどうやって関わるの?どうやって係るの?
ほんとうの気持ちのいい人間関係のつくりかた。
まずは自分が正直になること
自分自身が素直に生きれていない限りムリです。
だって相手にウソを見せることになるからです。
自分自身にうそつきな偏屈野郎がだれと良好で気持ちのいい人間関係がつくれると?
うそつき人間でも良好な関係がつくれていると勘違いするケースもあるようです。
それは相手がうそつきのあなたに合わしてくれているときです。
でもいつかメッキは剥がれます。そのとき相手からはすごい「目」でみられるだけです。
そんなことはわかりきっている。
本音ではなそう。嫌われても否定されてもOK
本音ではなしましょう。心を開くということです。
打算もなく。媚(こび)もなく。計算もなく。
それでいて「仲良くなれたらラッキー」です。
それでいて「きらわれたら」合わないだけです。
合わないのに合わせる必要はないです。
ただし、ここで大事なのは相手も心を開いてくれているかどうかです。
そこの見極めは非常にむずかしいです。動物の感覚がいるのでボクは会って話さないとわからないくらいです。相手の目を見る。そして心を見る。それ以前の関係も必要で一期一会ではまずわからない。
相手の心の開かせかた
自分の心をまずはひらくのです。
そして少しずつ少しずつ何度も何度も近づくのです。
猫と仲良くなるかのように。犬と仲良くなるかのように。
これがさっき言った動物の感覚です。
人間だって最初は警戒します。
高度なコミュニケーションをとれるので警戒をあえてしない人もいます。
でもそれでも「新しいすぎるもの」には人間はかまえるものです。
記憶や経験にないものは本能的にかまえるのが人間でありさらに動物なのです。
「新しい」には要注意。
で、自分を開いていけば相手も開いていくものです。
それが相手の心の開かせかたです。
素直と素直がぶつかったときが本当の人間関係
素直な心と素直な心がぶつかったときにできるのが「ホンモノ」です。
ホンモノの人間関係
よく大人になったら「友達ができにくい」といいますが当然です。
打算や計算、目論見、期待などで人に近づく
「バカから少し賢くなって」成長した証です。
それが大人なのかもしれません。
でもそういう利害をかんがえずに素直と素直でぶつかったときに仲良くなれるのが「友人」です。
それがホンモノ
それが人間関係
それ以外はすぐに電話帳から消されるくらいの浅く、薄く、弱いペラペラの人間関係
残念な人を特定する方法
残酷な話です。
あなたが大人で友達・友人・仲間・協力者がいないならあなた好かれていません。
いたとしても自分の本音を素直にぶつけられないならソレはもはや友達。友人・仲間・協力者と言えません。
そうです。
あなたは残念な人です。
まずは素直になることです。
そういう人への救いの話
残念な人は1人で生きてください。
改修しなければ残念なままなのできっと今後も好かれない。
言い方をかえれば嫌われ続けるだけで互いにしんどいだけです。
そういう方におすすめがあります。
物言えぬ「ペット」「植物」と過ごすことです。
犬なんてサイコーです。
叩こうが蹴ろうが忠義をもつ生き物です。
でも猫でもOKです。言うことは聞きませんがそれでも「あなただけ」しか知らないように仕組んで飼えば懐かざるを得ないのです。あなたが全てになります。
植物に関しては反応はないですが大きくなる姿をみせてくれるのでなんだか愛らしさはあります。
それくらい人間との差がある生き物と過ごしてください。
少し「あたたかい人間」にはなれるとおもいます。
反論が来そう
炎上・反論どんとこいです。
オレは言い返せます。
「じゃお前がそういうやつと対峙してめんどうみてください」
こう言われるとほとんどのかたがグヌヌとなります。
だってそうです。そういう人イヤです。
残念な人はだれにもマジで好かれない。
そういう人は迷惑が当然とかおもっています。利用だけしちゃえとか平気で思っています。
長い人生で学びました.そんな人ところかまわず居ます。
学生のころからいましたね。
でもがんばって付き合っていたけどやはりだめ。
もうオレは知らない。そんな人の幸でも願うけど、そんな人は側には置かない。
オレは気持ちよく生きたい
オレは本音で生きてます。
だから責任も取るし堂々としている。
おどおどしてない。言葉も濁さない。
わざわざケンカを売りには行かないけど、切られれば切り返す。
本音でいきるから本気で付き合える。
自分を殺す生き方なんて生きていないでしょ。
それがおれの「いきる術」
