無職

【持論】「無職」になって初めて見つけた、お金を介さない本当の豊かさ

最近、改めて思う。

私は今、人生で一番、穏やかで温かい時間を過ごしている。

「家賃0円、食費ほぼ0円」という夢のような現実

世の中の常識からすれば、「無職」は不安と隣り合わせの言葉かもしれない。

でも、今の私の周りには、社会人時代には想像もできなかった「優しさの循環」がある。

縁あって住んでいる家は、家賃がかからない。

食べるものも、近所の方からのお裾分けや、海や山からの恵みで満たされることが多い。

お風呂もトイレも不自由なく、お金に困ることもない。

「働いて、稼いで、払う」という一本道の生き方だけが、人間を幸せにするわけじゃないんだと、身をもって実感している。

「湿布」と「iPad」がつなぐ、持ちつ持たれつの関係

田舎の人たちは、驚くほど優しい。

先日、「腰が痛いなぁ」と独り言のようにこぼしたら、わざわざ家に帰って湿布を持ってきてくれた人がいた。玄関先で「持ってきたぞー!」と声をかけてくれる、その体温の近さに胸が熱くなる。

一方で、私にできることもある。

「iPadの使い方がわからない」と頼まれれば、ササッと解決してあげる。

私にとっては指先一つで終わる簡単なことでも、彼らにとっては魔法のような解決だったりする。

「ありがとう」の代わりに野菜をもらったり、また別の困りごとを助けてもらったり。

ここでは、スキルと好意が、お金を介さずにぐるぐると回っている。

「無職」という肩書きで、自由を広報したい

正直に言えば、これからもずっと、このスタイルで生きていきたいと思っている。

田舎で「無職」として生きることは、決して社会からの脱落じゃない。

むしろ、人間本来の「助け合い」を一番濃く味わえる、最高の贅沢なんじゃないか。

この「田舎暮らしの得(徳)」、そして「無職だからこそ見えてくる景色」を、これからは情報発信していきたい。

伊勢志摩の広報活動もその一つ。

デジタルに強い私と、土地の知恵を持つ老人たち。

その橋渡しをしながら、ストレスフリーに生きていく。

そんな新しい生き方のロールモデルに、私はなりたい。

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