X・Twitterでよく言われます。
「いぺぺさんの生活うらやましい」って。ありがとうございます。そうだよねわかるよ。
だって「無職」で「自由」で「キレイな景色なところで住んでて」「田舎暮らし」で「釣り」してて「お昼までねて」「責任のあることなくて」「家賃無料」で「うまそうなもの食てる」だもん。
おまけに結婚もしてないし子どもがおるわけでもない。(結婚している人を否定しているわけじゃないよ。好きなようにすればいいです)だから縛られるものもない。
さらに健康です。歩いて寝て食べてストレスがなくて。
過去のサラリーマンをしていたオレは言います。「とってもうらやましい」って。無職のオレの今の状態をとても羨ましそうに指をくわえてみています。そんな光景が浮かびます。
夢のような生活をしています。
X・Twitterで言われるように「夢のような生活」実際しています。
それはなぜかというと最初に書いたとおり「とても自由」だからです。
そうでう。ボクは自由人です。
人によっては「無職者」「プータロー」「瘋癲おじさん」など色々と呼び方はあるでしょう。厳しい目線がくるときもしばしばあります。
しかし、ボクはそんな人たちは地獄にいると思います。ツライ状態に引っ張ってこようとしてきているように見えるのです。
でも、ボクも引っ張ってあげたいのです。けど矢印は「こっち側」です。天国側です。「楽しく自由に生きれる側」に引っ張ってあげたいのです。
今の自分があるのは過去に頑張ってきたってのは確かです。でも過去の自分は「あえて不自由」していたとも言い切れるのです。
だって「自由になった」って言葉を使うけどほんとうはそうじゃないのです。「不自由な考えしてた」「不自由な行動してた」ってのが正しいのです。
どうしてかというと「手放したら自由」ってことにも気づいたし、「無理していた」ってのもきづいた「自ら環境のわるいところに身を置いていた」ってのもわかったし「洗脳されていた・自分の頭で考えなかった」「心の思うことと違うことをしていた」などなど色々と気づいたのです。
みずから不自由を選んでいたなんて今になってはびっくりです。
ボクは、ボクたちはいつでも自由だったんだ。
なんかマンガのセリフみたいですけど「聞かされる」と「体感して気づく」では大きな違いがあります。やっぱり体験。体感は必須です。
そりゃそうです。だから「体がある」のです。
ボクは当たり前のことを当たり前のように感じていたなかったのです。
無職生活・セミリタイア生活はいいよ
セミリタイアしたと言い張っている無職ですが
ワードや名称などどうでもいいのです。
自由であることに気づいているかどうかが大事なのです。
やっぱり働かないのが好きな人もいれば働くのが好きな人もいます。
どっちかに100%じゃなく50%50%の人もいます。
なんでもいいしどっちでもいいのです。ただ自由に選べるってことに気づくべきでした。
高校生→大学生→社会人→結婚→子どもってのが王道パターンです。時代の流れですね。
ボクの同級生もそういう人たちが男女ともにそうです。歳を取ればとるほど「みんな王道パターン」を歩んでいます。
それぞれみんな考えてやっている人もいれば、なんだか王道パターンで失敗している人もいます。人生いろいろです。
だから無職やセミリタイアをしても成功する人もいれば、失敗するパターンもいます。
こればかりは自分自身で実験・体感・経験しないとわかりません。
ボクは無職もセミリタイアも気に入っています。自分に合っています。テキトーな性格だし女受けするような自分は演じないし、協調することはできてもきっとストレスをため続けるしあんまり誰かと一緒にいるよりかは一人で気楽に楽しく明るく生きていきたいのです。
たぶん明るく楽しく生きるのに「1人じゃないとたぶんしんどい」ってのがなんとなく分かっているのです。
いやぁこれに気づくまで37年も費やした。十分な収穫です。よく生きたな。えらいな。体も心もついてきてくれてありがとう。食べ物や資源や流通や見えない力や見えないところで支えてくれているすべてに感謝です。ありがとう。
感謝感謝をできるようになったのも今があるからかなぁ?
もしそうなら無職やセミリタイアを思い切ってやってよかったなって思います。