セミリタイアや無職になるのをゴールや目標にしてませんか?
無職やセミリタイアを丸1年したボクがお話します。
そしてこれは真実です。
セミリタイアや無職はゴールでも目的でもなくスタートだった件
セミリタイアや無職というのは気楽な生活です。
大嫌いでイヤでイヤで仕方のなかった労働からの解き放たれた感は最高です。
それはセミリタイアや無職をやりだした時が最高地点です。
そこからは「サイコーな気分」はかわりありませんがテンションという脳汁はどんどん減っていきます。
環境こそ最高なのですが「気持ちよさ」は減ってくるのです。そうです「最高が当たり前」になってくるのです。
最高が当たり前になってくるとセミリタイアや無職生活にも「ハリ」がなくなってきますので飽きてくるのが事実なのです。
実際そうじゃない人もいます。それはオタク気質の人だったりマジの社会不適合者だったりします。
でもボクはそういうタイプじゃなくてただの「飽き性」なので無職やセミリタイアにも飽きが来たのです。
だからこそ原点に振り返ってみました。そこで間違いに気づきました。
無職やセミリタイアを目標にしていたということです。
目標地点がスタートだということに気づいていなかったのです。
まるで大学受験の合格をゴール設定している受験生のようでした。実際は「そこから」が大切なのです。
改めてスタートを切りだしてみた
飽きてきて「どうしよう」と思いました。
また働きだしても良いとも思ってました。でもやっぱり週5日を働くのはイヤなんです。そして「なにもしていない日々」もなんかハリがなくてつまらないのです。たぶんそれを続けていくとウツウツしてくる性格というか感じがしましたので新たなスタートを切ったのです。
それが「無料シェアハウスを利用して田舎に住む」ってことでした。
これが案外自分のなかでHITしました。田舎にはもともと住みたかったし無料で住めるなんてとてもすばらしい。さらに田舎の風土にも合っていたし住人さんとも仲良くできる。見学にくる人ともなんとなく色んな話を聞けるのでそれもたのしいひと時なんです。
だからこそスタートを切って良かったと思います。
そしてここからが「重要」
スタートを切ったらどんどんやりたいことがみつかる
ってことです。
↓の記事にも詳しく書いてます。
グッジョブなことをしたのは確かです。やはり飽き性というか閉塞感というかなにもしていない毎日を過ごしているとなぜか仕事も放棄してやりたくないことも放棄して生きているのに「息苦しい」ものがボクを襲ってくるのです。
でもそれは襲われているのではなくて「神からの啓示」だったのかもしれません。このままじゃいけないよ。なんかやりなよ。好きなこともっとやりな。やりたいことやりな。って誰かに言われていたような気がします。そんな気がして仕方がないのです。
今のオレの話
常日頃から感謝をして自然を愛でて人を大切に言葉には人一倍気をつけています。
自分で言うのも恥ずかしいのですがそんな素敵な心掛けが「加速したレベルアップした」って感じがします。
なんだか人生がとてもたのしくなってきているのです。だからこそボクの人生は間違えていないのだと確信しています。
そしてこれからもそれはどんどん加速してレベルアップして化けていくのだと思います。
ボクはボクをこのまま受け入れて生きて逝こうと思う。