セミリタイヤしたと言い張っている無職のぼくです。こんにちは。
今回は過去のぼくを振り返りつつ
「社会人を経てからのFIREがいいんじゃね?」って話をしていきます。
22歳からサラリーマンをしていたぼくの過去
大学を卒業して22歳からサラリーマンをしていました。
途中でやめたり転職もしたりしていましたがサラリーマンは約13年くらいしていたのかなと思います。
サラリーマンという会社員というか社会人の生活はなかなか楽しかったです。
楽しかったというと「へぇ良かったんだ」と思わせると思いますがそれはサラリーマン時代を経て今現在サイドFIRE的なポジションになったから言えるのです。
サラリーマンをしていた時は会社が嫌でしょうがなかったです。早くやめたい働きたくない。面白くないといつもいつも思っていました。
理由は何個かあります。仕事ができない。将来性がない。続けていく自信がない。などなどたくさんありますが今回は省きます。
働いている時はシンプルに「苦しかった」です。
でも今は「勉強させてもらいながらお金をいただきながらいろんな経験をさせてもらいながら使えないぼくを助けてくれながら社会経験させてくれた素晴らしい環境」だったと【想い直す」ことができるようになったのです。
今だからです。
なぜそのように思い直すことができるようになったかを次に話していきます。
息ができる幸せ
社会人時代は「苦しかった」です。
呼吸で例えるなら「息苦しかった」ってやつです。
自分にはあんまり合わない環境だったのかもしれません。それでも仕事はサポートを受けながら教えてもらったしお金ももらった。
でもやはり当時はおもしろくないしつまんないし「苦しかった」
そこで辞めてみた。
そしたら「呼吸が楽になった」のです。もちろん比喩表現です。
息苦しいから呼吸が楽になったって感じたらそれだけで幸せじゃないですか?
試しに息を止めてください。10秒でOKです。
10秒息を止めるとプハーとなって次の瞬間息をたくさん吸います。
そしたらそれだけで「はぁ良かった」「息できるって幸せ」ってなるはずです。
ぼくはそこに喜びや幸せって「そこ」にあるんだなって感じます。
だからこそ「今」FIREだのセミリタイヤだのの状況ですが「幸せ」を感じやすいなど思うのです。
もちろんお金も少しは貯金できたけど経済的なところだけじゃありません。ぶっちゃけ逃げ切れるほどの金額は稼ぎきれておりません。
でも心のゆとりや余裕や優しさや愛情などは社会人時代よりはるかに広く大きく濃く深くなったと思います。
経済的な自立よりも、精神的な自立を大きくGETできたように思います。
でもそれは「何もしなければ得れていないだろう」と思います。
社会人経験ですいもあまいも経験した。
社会人は酸っぱい思い出が多いです。
でも給料とか経験とかあとでわかったことですが「あまい経験」も多く受けておりました。
何が言いたいかというと
「社会人経験ですいもあまいも味わうことができた」っていうことです。
これはぼくの人生で必要だったことです。
必要悪という言葉がありますがぼくは社会人経験を「悪」として捉えておりません。
自分に必要だったのです。良くも悪くもです。
そしてこの良くも悪くも経験させてくれた社会やサラリーマン生活に対して感謝ができるようになったのが何を隠そう「セミリタイヤ生活」なのです。
だらだら続けるのも辞めて良かったし今、ぼーっと暮らしていますがそれも良かった。
ぼくは自分の人生における全ての経験が自分には「必要なもの」って捉えることができるようになってきたと思います。
もしかしたら人間として歳を取ったのでそういうふうになってきただけなのかもしれません。
でも年だけの責任にしたらなんかちょっと寂しい笑
だから自分がしてきた経験でぼくが人間として大きくなったと勝手に判断してこういう文を書きました。
全てに感謝ができるようになれば心穏やかに生きれるのだと思います。
まだ全てには難しいですがそれでも感謝できる対象が広くなったのはサラリーマン時代があったからだと思います。
結婚や子供などのいわゆるフツーのルートを通っていませんが「そっち」でもそういう経験もできたのかもしれませんが
ぼくは違うルートを選んでいるので「こっち側」を思い切り楽しんでやろうと思っています。