無職

あんがいみんな平気なんだなと学習

この記事はあくまで自分のことは抜いた考えなので気にしないでください。

独り言です。

今回は「みんなあんがいへいきなんやな」っていうことを書いていこうとおもいます。

まず「汚れていてもおK」

汚れていると書くと「汚い」っていうイメージを沸くと思いますが

そうなんです。汚いなってオレは思うんですが

人にとってはぜんぜん許容範囲だったりします。

むしろソレが平気というより心地いいとすら感じる人種がいるんです。

ボクにとっては「とてもじゃないけど掃除しよう」とか「むりむり」って思うこともまかりとおるのです。

ほかにも

「お金をぞんざいに扱うな」ってのもあります。

ボクはお金がだいすきなので丁寧に扱っていきたいんです。

使う時もそうです。お財布にいれるときもそうです。

お金を大切にします。

でもそうじゃない人がいます。

部屋のあちこちに平気で散らかしっぱなしにする人や

お札をぐsyぐしゃにしても平気な人がいるのです。

ボクからした「ちょっとどうなん」っておもう扱い方です。

どうかしている感覚はオレの方?

みんなどうかしているぜって思うことがあるのですが

よっくよく考えれば色んな人がいているのは当然のことです。

どうかしているって感覚は自分のほうかもしれません。

でもそれでも許し難いごとが多くあるとどうしても「1人でいたい」ってなるのです。

話し合ったり問題を他者と解決していくのはオレはあんまり好きじゃない。

人と関わりたくないし「そんなもんお前が勝手に気づけよ」って内心おもっています。

こちらに改心の余地はありません。

もちろん世間的にぼくが間違えていることもあるとおもいますが

そういう時は「違和感」を感じます

違和感を感じたらただせることはただしていくのがオレのスタイルです。

でもなぁ

やっぱりめんどうくさい

めんどうくさいに年々勝てなくなっているような気がします。

生き物としてポンコツになってきているような気がします。

若い時だけエネルギーと気が張っているのはかんじました。

でも世の中の先輩をみていても

飼っていたペットを見ていても

歳をとるとどんどん億劫になっていくようです。

気が減る。気力が減るのでしょう。

ボクが飼っていた猫はボクのことを一生懸命噛んでくれていたのです。

でも歳を重ねるごとにぜんぜん噛まなくなりました。

最終的には歯もなくなってきていて口の中が痛かったのかもしれません

それでも噛んだり引っ掻いたりしなくなったのはやっぱり面倒くさくなったり体力や気力が減って行ったからだとおもいます。

めんどうくさいってには強敵だなとおもいます。

打ち勝たずに

めんどうくさいに打ち勝つ方法みたいな話や本は多いような気がします。

でも正直めんどうくさいものは永遠にでてくるので最近は「上手につきあう」ってのを念頭にいれるようにしています。

あんまり体裁とかプライドとかを持ち込まずに付き合っていくとどうも心地いい

めんどうくさいと手を繋ぐとなんか心地いい

とても怠惰でいけない気持ちにもなるんですが打ち勝たずに寄り添うと

プールで浮き輪で流されながらぼーーっとしている感覚にちかいような

心地よさがあります。

たまにへたうって頭をぶつけたりするけど

仕方がないもん

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