子供部屋おじさんのオレは実家暮らし(あたりまえ)
久しぶりに実家に長女が遊びに来た。
数カ月ぶり以来です。
それでも会えると嬉しい。
別になにかある訳はないんだがセミリタイアして無職になって「当たり前がありがたい」ってことにつくづく思うことがある。
仕事で忙しくしていた時は「あらゆることを忙殺」していた。
なにも考えていないわけではなかったけど「肝腎なこと」をわすれ「どうでもいいこと」に時間を使っていたのだ。
今は両親と暮らせることや自分の健康やしあわせについて考えることが多くなってきた。
だからこそ家族の兄妹にも目を向ける。
だからこそ会えるとなんだかうれしい。
犬とか飼っているとわかるけどあいつらすぐに「しっぽ振ってくれる」単純にうれしいんだ。娯楽がなかったりヒマだったりするのかもしれないけど「うれしい」ってことには間違いない。
犬派しっぽがぶんぶん動くので分かりやすいけど人間は「うれしさ」など顔や言葉にだす・出るってのは少ない人がいる。
でもその分心にはダイレクトにバレており嬉しい心を感じることができる。
それを自分自身に感じる。
ねえちゃんにあえてうれしい。それは単純なしあわせだということです。
当たり前こそ大切にしたい。
当然とか当たり前とかってフツー過ぎて忘れがち
感謝することも忘れがち
また大切と思っていても大切にできていないこともざらにある。
でもそんな生活に「ほんとうのしあわせ」なんてものはあるのだろうか?
ボクは「大切なものこと」などはかみしめたいと最近おもう。
父さんや母さんが生きていることや姉ちゃんが元気で暮らしていることなど
自分自身が健康で生きていることなどフツーなことなんだけど「当然とか当たり前」になっているけどきっちり「感謝」して生きていきたい。そうすることで毎日が「しあわせいっぱい」になるような気がする。
ボクはよく神社に行く
お祈りや感謝を神さんにしに行くんです。
そうするとなんだか心がスッとする。そんな場所がや感覚が好きで神社に行く。
お祈りできることやかみさんに感謝できることもフツーではなくありがたいことです。
宗教にはぞくしていない
ボクはスピリチュアルが好きだったり、宗教関連の本も読む。
でも宗教家ではないし別に求めているわけでもない。
でも、「感謝」「祈り」など宗教っぽく聞こえてしまうことは実は好きだ。
逆にいうと「神様」はいると信じているし、死んだら終わりとも思っていない。
なにか魂的なことは信じているし呪いとか怨念もあるんじゃないかな?って思っている。
実際、気色の悪いところってのはあるもんだ。
でも宗教家ではない。
ただただ自分に都合のいい考えを本から吸い取っているだけです。