武士道って知ってますか?
「死ぬこととみつけたり」ってカッコイイこというやつです。
もう少し具体的にいうと「義とか筋とか考え方とか誠実さとかを通して精神的なことを訴えかけてくる精神論」です。
まぁなよなよ生きているオレには刺さらないことがおおいです。
はっきり言って「かっこいい」とはおもいますが
武士の精神をもっていきている人は居ないんじゃないでしょうか?
だってなんかあったら「切腹」するんですよ?
腹を掻っ捌くアレです。
自殺です。
イヤになって自死するやつじゃなくて
武士として死を選ぶいわゆる積極的な自殺です。
そんなやつおるかい!!
この日本におるかい!!とオレはおもっています。
まぁ極論までいかなくても「義理」を重んじている人も都合がわるくなったら義理をかくのが現代日本とおもいます。
筋とかいうくせに都合がわるくなったら筋を通さない人もおおくいます。
人に言ってくるクセに自分はやらない男の風上にもおけないクズやろうです。
そういう人で溢れているとオレはおもうのです。
ちなみにぼくも武士道違反しているのでしょうじきに伝えておきましょう笑
ウソはつくし、都合がわるいと逃げる。義理人情に重きを置いているふうに見せておきながらカゲでこそこそ
大事を成すことはなく。知恵は浮かばず。気分もひきたてるようなニンゲンでもない。そして傍目八目のポジションをとり、こんな生き方をしているのでうつけ者であり増上慢なのでものすごく勘違いしています。
武士道を説くやつ信用できない説じゃなく悪
清濁をあわせもっているのがニンゲンです。
昔の武士さんは律することができたし続けた。まことの傑物を「目指したのでしょう」あっぱれです。でもオレはおもいます。所詮「ニンゲンやろ」って。
目指すし研ぎ澄ますこともなみなみならぬ精神力で鍛錬で上がっていくことはできるとおもいます。でも無理っしょ。
強さをもとめるのはかっこいいけど無理は効かない。だから現在お武士さんは居ないの。
もっというと武士道はカンペキにみえる「自己啓発書」「セミナー」くらいのものなんやったんじゃない?
オレはうがった心を持ち合わせているのでそうおもいます。
書いた内容はかっこいい。でも書いたことを実践出来続けているとはおもえないのです。
そんな魂みてみたいです。
だからこそ
武士道の扱い方
武士道系の本を読むと「無理ゲー」とおもいます。
だって崇高すぎるぜ( ◠‿◠ )
だからおもうのです。
使えるところだけつかっちゃえ
って。
まぁどんな本でもそうですが「ここええなぁ」と一文を覚えて繰り返し身につけていくことが大事なんです。
武士道もイイこと書いちゃってくれています。痺れるところもおおいなぁ
だからこそ。
一文だけでいいので「自分のものにしちゃいたいのでがんばっちゃお」くらいでいいとおもいます。
「書」として丸ごと取り入れることは不可能です。
武士道の考え方正直シンドイ
みんなもおれも自分のことが大事なのです。
命も大事
命を褒めたいのに「なんか自分とおすために切腹しちゃお」なんてありえへん。アホかと。バカかと。
武士道説くヤツもキライっす。
そんなやつらも都合がわるくなれば「かんにん」いうて許しをこうてきます。
まぁそれならまだかわいい。どついてから許す。
ぼっこぼこのバッキバキにしたいのは武士道みたいにかっこいいこといって都合がわるくなったら逃げるヤツです。そんなやつこそ切腹せぇ。首タタッきったる。
だからカッコイイこというには注意や覚悟がいるのです。
通すよりゆるそう
自分を通すのもかっこいいとは思いますが自分が許せないなんて時代遅れだぜ
自分との約束。覚悟。決断。みごとに裏切ってもOKとおもいます。
なよなよして無責任はイカンですがリスタートはしてもOKなのです。
自分自身をゆるすのです。
そして
できるなら
他人の失敗も寛容しちゃってあげちゃってください。
それこそ「真にかっこいいステキな人」です。
よく人の恨みつらみ嫉みねたみを見聞きします。
きっと相手のことを許せないのです、
でもそれはゆるそう。オレはあなたを寛容します。
でも相手を許せない自分自身をぜひ許してあげてください
心ゆるゆる。心明るく。心ピカピカでぜひとも生きてほしいものです。
知ってました?
なんか愚痴や悪口・文句たれているときの顔って世界一のブス顔です。
オレも気をつけます。
ぜひあなたも気をつけましょう
ブス顔避けよう。
武士道読まなくてOK
現代に通じるか
ボケ〜って感想の本です。
よわくても生きましょう
命を褒めましょう
以上です。