セミリタイアしたと言っていいのか
無職と名乗っていいのか
分からない。
だってねウーバーイーツしている。
今日も夜から稼いで4,000円くらいかせいだよ。
でもね、こんなボクは「とってもしあわせ」です。って話をしたい。
セミリタイア最高とか無職最高とか稼ぐの最高とかじゃななくて
会社員やめて最高。なのかな?
いやもっと深堀していうと、
「イヤなことしてない」ってころが最高なのかもしてない。
マジで心理カモ。
「やりたいことやっている。好きなことやっている」から最高ってのはちょっと違くて。
もっと具体的にいうと「やりたくないことやってない」から最高なのかもしれない。
やりたいこと・好きなことなんてない。
やりたいことや好きなことなんてぶっちゃけないです。
オタク体質ではないし、そこまでのめり込むものはない。
だからオタクがうらやましい。でもオタクになれるほどの情熱の対象はない。
だからといって世間体を気にして、「家族」「夫婦」「子ども」「成功」「カッコイイ」とかは別に欲しくない。強がりじゃなく、ほんとうにあってもいいけどなくてもいいレベルのものです。
だから、やりたいこと・好きなことがあってもなくても「楽しく生きるには【やりたくないことをやらない】」ってマインドが最強って話します。
「やりたくないことやらない」ってのが最強の凡人の夢
やりたいことや好きなことって考えてもあんまりでてこない人多いと思います。
だからみんな流されて会社人や結婚や子どもやら成功やらを目指してしまう。
だって世間体はいいし、なんとなく社会に認められるし、カッコイイし、なんとなくステキだもん。そしてそれが「普通」だもん
でも1番最強なのは何かを悟ったのです。私。
「やりたくないことをやらない」ってこと。
やりたくないことって【明確】じゃないですか?
ボクは「働きたくない」ってのが1番です。マジで社会人つらかった。正社員ツライ。転職して楽にはなった。でもツライのはあった。だから辞めてん。ツライのには勝てない。
イヤなことは心が常に教えてくれる。心がいつも苦しくなってそれを通じて教えてくれる。でもムシしがちなんです。例外なくそれはオレもそうでした。辛かった。
でもムシしてた。心も体も限界来てた。泣いてた。体もサイン出してくれた。でもまだムシしてた。マジでアホでマジでツライ。生きたくて生まれてきたはず。なのに毎日を小刻みに自殺している感覚。あの頃の自分があるから今があるからこそ。全否定はしにくい。でももう少しお利口さんに生きることはできたのかもしれない。
もう少し考えて、もう少し休憩しながらやればもう少しお利口さんに生きれたはず。でも過ぎたことを言っても仕方がないし取返しはつかないからいいや。愚痴ってごめんなさい。
オレが「やりたくないこと=働きたくない」なんです。
今でこそウーバーイーツで働いているけど「あの頃の働いているとは違いなんかやっていける」って感覚になるんです。それが俺の中のウーバーイーツ。ありがたいことです。とても「自由」がある。それが救いです。
稼ぎは悪いけど「自由」があるので働いているけど「働いていない」って感覚が勝っているのでなんとかなっている。
オレは無職。オレはセミリタイア。オレはしあわせ。
無職でセミリタイアとか言っているオレです。
でもしあわせ。絶頂期なのかな?
いやこれからどんどん幸せになっていくような気がしている。
世間的には「堕落」「墜落」「失格」しているように言われそうだけど
マジで「めっちゃしあわせ」毎日が楽しくて毎日がとてもステキな1日になる。
社会人やサラリーマンをしているときもしあわせはあった。でも少なかった。というよりかは「辛すぎました。」ってのが本音。だから「小さなしあわせが大きく」感じていただけかもしれない。でもそれもいいです。過去のこと。
そのときの経験を味わったからこそ、今無職で楽しめているかもしれない。
あれがなく、最初から無職なら逆に「働きたい」ってなっていたような気がする…想像はしにくいくらいサラリーマンがきつかったけどね。
今のオレは超しあわせ者です。
友達にも恵まれ家族も元気で俺も健康で少しの稼ぎはありやりたくないことはしていなくてさらにやりたいこと(みみっちいことだけど)できている。
たくさん食べて寝れて、こんなに良い人生はないと思っている。感謝も足りていない部分は大いにあると感じているけど感謝していることもあるんです。
オレは超しあわせです。生きていて最高。生まれてきて最高。なんともすばらしい経験をさせてもらっている。
きっとあの世ではこんなすばらしい経験できていないと思うな。