無職

「共有」について話してみようと思う無職

「共有」や「共感」に「共通」している漢字は「共」です。

「共」というのは「きょう」とも読むし「とも」とも呼ぶ

「とも」というのは「友」という漢字と同じ読み方

「友」は「ともだち」

ということで無理やりで申し訳何のですが「共有」や「共感」は友だちとすることです。

することですって勝手に決めつけて話を進めていこうと思います。

よろしくおねがいします。

友だちっていいぞ

無職の人やセミリタイアしてる人はなんとなくのイメージで申し訳ないのですが「友だち少なそう」です。

なにぶんオレがそうなんです。

「大学の知り合いがいる」とか「表面上の友だちがいる」とかのそういう上辺の友だちは案外います。

じゃあそこから深く濃く絆を深めていくにはどうすればいいかご存知でしょうか?

ボクが思うのは「共有」「共感」の繰り返しだと思います。

しかも心の深いところでできればできるほどいいんじゃないかと思ってます。

だからこそ大人になってから友だちができにくのです。だって心にバリアを張っているからです。

子どもの頃はそのバリアも薄かったのです。

でも年を重ねるにつれてそれはとても分厚くなりました。

「疑心」「うがった目」「うそ」「信用しない心」などです。

大人になればなるほどこれは増えていく

でも稀に超素直なままでピュアに生きている人もいる。あれは例外。レアキャラです。

で!

友だちになるためには「共有」や「共感」をウソなくけがれなくできたときに築き上げれるのです。

だから、友達はいいぞっていうよりも友達になっていく過程が最高に「いいぞ」なのです。

ワレ無職。友だちができやすくなったゾ

サラリーマン時代はなんだか心が疲れていたのかな?

新しい人と出会っても友達になることはとてもすくなかったような気がするんだ。

だけど今は無職2年生なんですが友達が増えやすくなっている気がするんだ。

バリアがね。その薄い状態なの。まだあるよ。バリア。でも薄いのです。

なんでだろう?って考えたのです。

たぶんだけど、「心が緩んでいる」のです。そしてあらゆることを「許している」のです。

心が温かくなったというか、素直になってきたというか。

そんな感じ。

無職って悪いもんじゃないのです。

こういう、人間の心のなかの宝。もっていた宝のような心をあらためて再発見できた。

俺の心のなかにもそおいうキラキラしたものがあったのです。見つけれて良かった無職してよかったなと思います

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POSTED COMMENT

  1. ジェニファー より:

    友達と深く濃く絆を深めるには「共有」「共感」の繰り返し。


    またええこといわれてる。
    同感です。

    モヤモヤしてたのが
    だんだんスッキリしてきましたよ。
    楽しいね。

    こうしていいこと聞いて
    スポンジみたいに
    吸収するんだ。
    ありがとうございます。

  2. ジェニファー より:

    琴線に触れまくってるよ。

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